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プリズム (バンド) : ミニ英和和英辞書
プリズム (バンド)[ぷりずむ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

プリズム : [ぷりずむ]
 【名詞】 1. prism 2. (n) prism

プリズム (バンド) : ウィキペディア日本語版
プリズム (バンド)[ぷりずむ]

プリズム(PRISM)は、和田アキラギター)と渡辺建ベース)を中心に1975年に結成されたフュージョンバンドである。1977年にアルバム『PRISM』でデビュー、最新作は2013年11月発表のアルバム『MODE:ODD』。
== 来歴 ==
1970年代の中盤に入る頃、プロ志向だったギタリスト、和田アキラのブッキング(演奏場所や参加メンバーの選定、マネージメント等)によるライブ・セッションから始まる。その都度、メンバーが変遷していきながらも、和田と同じ都内のロック演奏のコミュニティに属していた久米大作カシオペアの活動と掛け持ちだった鈴木リカ徹などが頻繁に参加。また、既にセミプロで活動していた渡辺建伊藤幸毅らが和田のスカウトにより加入しメンバーが固まっていく。それと前後して毎回適当に付けられていたバンド名もプリズムと決まった。
デビュー前のプリズムの音楽性は、当時の和田が趣向していたロック&ブルース・ギタリストのカルロス・サンタナ率いるラテン・ロック・バンドのサンタナ、ジャズ・ピアニストのチック・コリア率いるエレクトリック・バンドのリターン・トゥ・フォーエヴァー、そのバンドのギタリストであるアル・ディ・メオラらのインスト音楽に影響を受けたもので、そこにセッション活動開始後の1975年、かねてから注目していたロック・ギタリスト、ジェフ・ベックの全曲インスト・アルバム『BLOW BY BLOW』が発表されるに至って決定的となった。
1975年に至って、和田アキラ渡辺建久米大作伊藤幸毅、鈴木リカ徹をオリジナルメンバーとして結成される。また、1976年のデビューアルバムのレコーディング中にプロデューサー判断により、以前からプリズムのメンバーと面識があり、四人囃子を脱退したばかりの森園勝敏がレコーディングに参加し、そのままプリズムに加入。この6人がデビューアルバム発表時のメンバーとなった。
1977年ポリドール・レコードよりセルフタイトルのアルバム『PRISM』でデビューする。それまで上述したアーティストらのカバー演奏だったものが、デビューに合わせてメンバー作曲によるオリジナル曲路線に変更。高い演奏能力に加え、インストによるハードロックを基調にしながらも、ジャズ、エスニック、プログレッシブ・ロックを織り交ぜた、いままでにない楽曲群にも評価が集まった。
前年のエリック・クラプトンの日本公演の前座を務めて注目されるなどしてデビュー前から人気は高く、デビューアルバム『PRISM』の初版8,000枚は発売日に1時間で売り切れ、デビュー記念のホールコンサートは開場待ちの観客によって最寄り駅から長蛇の列が出来るなど伝説を残す。
ライブ活動を積極的に展開し、アルバムも一年ごとにコンスタントに出していくが、1978年のセカンドアルバム発表後に森園が脱退したのを皮切りに、フュージョン・ブーム真っ直中の1979年になると、和田と渡辺以外のデビュー以来のメンバーが相次いで脱退する事態が続き、バンドとしての活動が鈍くなりだす。このことにより新たな展開を迫られ、和田や渡辺はデビュー後のセッション活動で知り合うことになった佐山雅弘青山純を順次メンバーに招いて、1980年より4ピースのバンドとして生まれ変わる。その後、佐山が脱退し、代わりにプリズム脱退後も活動を共にすることが多かった森園勝敏のバックバンドにいた中村哲が加入。1980年代前半はこのメンバーでの活動となり、メンバーの趣向も相まってアルバムを発表する度にプログレッシブ・ロック色が強くなっていった。これは当時ポップス色が強かった日本のフュージョン界において一際異彩を放つことになる。
1984年、メンバーの脱退やレコード会社との契約完了が重なり、バンド活動が休止状態に陥る。プリズムは再び和田と渡辺の二人になってしまったが、和田が参加していたバンド、KEEPの創設者であり、公私にわたって縁深かった深町純がサポートメンバーになることを表明して再開に向けて支援。そこに和田のソロプロジェクトに参加していた松浦義和、木村万作らがやはりサポートメンバーとして参加し、1985年よりレコード制作やライブ活動を再開していく。が、1987年にレコード会社との契約完了により、翌1988年に深町が離脱(曰く「レコードを出せないのならば、それはプロではなくアマチュアだから、プロの自分がそこにいる意味がない」と2010年にライブのゲスト参加の際に、深町流のロジックを交えたMCにおいて打ち明けられる)。また、松浦もこれと前後して離脱していった(離脱後、菊池桃子のロック転向で話題となったバンド、ラ・ムーにメンバーとして参加している)。
1988年より残ったサポートメンバーの木村万作を正式メンバーとして、和田、渡辺、木村による3ピースのバンド形態として活動をしていく。トリオ編成になることで即興性の高い演奏スタイルを確立すると共に
キーボードレスながらも、ギターシンセ、ベースシンセ、シーケンサーをも積極的に取り込んで豊かな音を紡ぎ出していった。積極的なライブ活動が実り、1990年よりレコード制作も再開。その地球環境をテーマにして連続リリースされたアルバム『MOTHER EARTH』、『REJUVENATION』、『A PERSONAL CHANGE』の3枚は環境3部作と呼ばれてファンに支持され、強烈な印象を放ったデビュー期のアルバムとともにプリズムを代表するものとなった。
2000年渡辺建が脱退し、岡田治郎が加入。以後は和田、木村、岡田の3人を中心に活動。そこにサポートメンバーに新澤健一郎が入ることもある。また、往年の元メンバーをゲストに加え、1990年代の3ピースでの活動時代にはあまり演奏されることがなかった1970年代や1980年代の曲も頻繁に演奏する同窓会的なライブも毎年開催している。
2000年以降からレコーディング、ライブ共にキーボードをサポートメンバーで対応していたが、2011年発売の『Place in the sky』でゲスト参加したのを機に2013年10月にキーボードの渡部チェルが正式新加入し、11月に新作『MODE:ODD』をリリースした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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